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■ 川上健太郎クロニクル

【1972年(昭和47年)】

東京都板橋区は成増にて誕生する。

たしか3800グラムくらいあって、かなりデカイ状態で
母親の出産を苦しめたらしい。

・・・引越しの多い一家であった。
 
母親がまだ若かったころ、占い師に見てもらった際、
「先祖はジプシー」といわれたらしい。
 
ジプシーって。。。。移民かいっ!!(笑)
 
確かに、高校三年までの間に、
6回もの引越しをしているのではあるが、
引越し先は全て板橋区内というものであった。
 
う~ん。。。移民ねぇ。。。
 
父親が当時、材木屋を経営していて、母はその事務を担当。
 
おかげで、我が家にはボーナスという概念が存在しない。
 
いつも、大工さんに囲まれて育つ。
 
ボクが今でも、コミュニケーションを円滑にできるのは、
この頃からたくさんの大人(しかも無骨な)に
囲まれて育ったからなのだろう。
 
   
【1981年(昭和56年)】
   
小学2~3年から音楽が大好きで、
家のステレオでずっと音楽を聴いていた。
 
当時買ったレコードは、松本伊代・近藤真彦・シブガキ隊と
アイドルにはじまり・・・
 
横浜銀蝿の「お前サラサラサーファーガール 
おいらテカテカロックンローラー」

 
さらに、銀蝿一家の弟分である、矢吹薫という人の
「お前にまぶしずぎて」
 
・・・と、早くも一般から少しズレはじめた。
 
マイナー路線かわけんの誕生である。
(横浜銀蝿っていったら、ツッパリハイスクール
・・・とかだろっ?)
 
中でも僕の人生を大きく変えたのが、忌野清志郎+坂本龍一の
「い・け・な・い・ルージュマジック」
 
気味の悪さを拒絶せずに、見たくはないけど見てしまうという、
心理状態を経験し、後の音楽活動に大きな影響を残す。
 
さらに圧倒的な違和感から信者にさせる秘術について、
現在の仕事での基本的思想をこの2人から授かることになる。
   
    
【1984年(昭和59年)】
    
吉川晃司のファンになる。
 
小学5年のボクには当時の吉川晃司はカッコ良すぎた。
はじめてアルバムを購入したのは、もちろん吉川晃司だ。
 
後に2002年になって、本人と奇跡的にも出会うことになる。
  
・・・場所は鮫洲試験場。(笑)
 
免許更新の時に、俺の前に並んでいたのが、
吉川晃司その人であった。
 
話しかけたりはしなかったけどね・・・
   
    
【1986年~1988年(昭和61年~63年)】
    
中学に入り、剣道部入部。
(少年剣道も小学5年からやっていた)
 
弱~い部で、練習も極めてフザけた内容。
 
3年のときに部長になり、やっていたことといえば、
もっぱら卓球部をジャックして、卓球の練習。
 
防具と袴を着けたまま、
卓球をしているんだからどーしようもない。(笑)
 
そんな部活ではあったが、団体戦で都大会出場。
 
武道館での都大会であったが、これはアッサリ1回戦で敗退。
(いちおう初段を持ってます)
 
そんなマイナーでふざけた部ではあったが、
リクルーティングが上手かったからなのか、
ただの女ったらしだったのか、
  
部員10名ほどに対し、
かわいい女子マネージャーが5人ほどいた。
(僕が引っ張ってきたんですけどね。。。)
 
剣道は中3で辞める。
 
成績はいたって普通。
  
点数の取り方は、5段階評価で国語が「5」、
社会が「1」といった感じの天国か地獄風。
 
クラスで1番のものもあれば、ほぼ最下位のももあって、
トータルではちょうど真ん中くらいの順位にいつもいた。
 
偏差値50ってヤツですね。
 
そんな分際にも関わらず、
生徒会副会長もやってみる。

 
その頃から、『分をわきまえる』とか『身の程を知る』
といった言葉が自分の辞書から消去されていた。
 
BOOWY(ボウイ)が当時大好きで、
伝説のライブ『LAST GIGS』に行きたいと本気で思った。
 
学校をサボり、家でチケットピアに電話をかけまくるが、
チケットは取れず・・・
 
しかし諦めがつかず、その思いを至るところで吠えていたら、
当日、友人から電話。
 
その友人は、とある格闘技系の有名なジムの
会長の息子だったらしく、
当時「某マイクタイソン」を日本に呼ぶプロモーターでもあり、
東京ドームのチケットがカンタンに手に入ったらしい・・・
 
よって、以前からBOOWYのLAST GIGSに行きたいと
吠えていた俺のことを思い出し、電話をくれたとのこと。
 
おかげで、タダでしかも前から10列目くらいという、
ありえないVIPな席で観ることができた。
 
願いは叶うということをここで体験。
  
他に当時聴いていた音楽は、爆風スランプ(初期)、佐野元春、
尾崎豊、TheMods、渡辺美里、バービーボーイズなどですね。
   
   
【1988年~1990年(昭和63年~平成2年)】
   
ギターが弾けるようになりたいとの一念で、
高校は軽音楽部が充実している私立正則高校に入学。
 
髪型も服装も自由な学校なのである。
東京タワーの真横です。
 
入学して軽音楽部に無事入部するものの、
学校外で組んだバンドの方が楽しくなり1年で退部。

(当時の部長ともめたのも理由のひとつ)
 
当時、校内でもイチバン格好良くギターを弾く男が、
ボクの中学の先輩だったこともあり、
その人にくっついて行動するようになる。
 
後に、自分のバンドにサポートで参加→そのままメンバーへ。
 
という、彼女ができて、そのまま同棲・・・
みたいなパターンで、最高のパートナーを得る。(笑)
 
そこで問題がひとつ。
 
パートは同じギターなので、
ココでハッキリと技術の差が出てくるワケです。
ボクよりも断然カッコイイギターを弾くワケです。
 
自分としては、ギターヒーローになりたいというよりかは、
音楽でメシを喰えたらというものだったので、
当時、空席であったドラムに転向。
 
メンバーのいないところでちょっと練習をしたら、
そこそこ叩けるようになったので、こりゃイケルと・・・
 
ドラムを叩くキッカケというのは、
なんとも恥ずかしく、安易なものなのだ。

 
このバンドでライブを月1~2回、
池袋や大塚あたりでやっていて、デモテープを販売して活動。
 
その頃から、『インディーズ野郎』として何をつくるのにも、
完全自主制作が基本となっているのだ。
 
高校に入ってからの好きな音楽は一変。
洋楽が中心になっていったのですね。
 
ディープパープルのマシンヘッドというアルバム
(ハイウェイスターやスモークオンザウォーターなどが
入ってるヤツですね)にノックアウトされて、
 
オジーオズボーン、ジミヘンドリックス、スウィート、
レッドツェッペリン、ビートルズ、ジャニスジョプリン、
EL&P、イエス、クイーン、エアロスミスなどを聴くようになる。
 
リアルタイムよりちょっと古めの音楽が好きだった。
 
あとは、私服で学校に行ってたので、
ほぼ毎日パチンコを打ってました・・・(笑)

 
当時は、一般台なるものが主流で、ビッグシューターに夢中。
 
高校3年になっても、受験勉強をするつもりがまったく無く、
行くとしてもバンド活動をするための
執行猶予期間だと割り切っていた。
 
受験勉強をする時間が無いので(よくわからん理由ですが)
推薦か試験の無い専門学校と決めてたのだ。
 
で、1校推薦で行けそうな大学があったのですが、
その条件として、「髪の毛を切ること」というのが、
担任から言い渡され、絶対にヤダと・・・
 
どんな突っ張り方なのか、今となっては青い思い出なのですが、
当時の自分には譲れない価値観だったのですね。
 
だって・・・ロックは長髪じゃん!!!
 
そうなんです。
その頃の僕は肩よりずっと長い髪を持っていたのです。
 
それをお前は切れというのかぁ?たかが大学受験でぇ??
と、その推薦枠を蹴って専門学校へと進むワケです。
(これ親には言ってないんだけど・・・)
   
   
【1991年~1992年(平成3年~平成4年)】
    
蒲田にある、おっきな専門学校に入学。
 
音響関連で、レコーディングエンジニアやテレビ製作に
関することを教えてくれるところだ。
 
で、すみません・・・
ここの授業で学んだことって、全く覚えてません m(_ _)m
   
学校が悪いのではないと思います。
  
ボクが授業をちゃんと聞いていなかったとか、
授業に出ていなかったとかが原因なのですから・・・。
 
授業内容は全く覚えていないのですが、
この学校に通っている間に学んだことは数知れず。
 
後の人生に大きく役に立っている事が多くあるのです。
 
イチバン大きかったことは、学園祭において、2年連続
(2年制の学校でした)でライブハウスを企画し、
運営のリーダーとして、全てのことに携わったこと。
 
全てとは、企画・コンセプト・各スタッフへの指示出し、
参加バンドのオファー・諸々と、バンドでの出演まで。
 
映画でいえば、監督・脚本・主演みたいなもんでしょうか(笑)
 
これらのことを全てにおいて携わりました。
 
この経験は、現在の仕事において というか、
人生において大きく影響していて、
現在はこういったことに近いことをしているような気がします。
 
つまり、歯車のような役割ではなく、
ちいさな集団であったとしても、
全てにおいて携わり、自分たちで世界観を築くようなこと。
 
これを全うできたような気がします。
 
他にも、おバカな企画を山ほど仲間とおこなってました。
例えてひとつ挙げてみると・・・
 
仲間のひとりが誕生日だということで、
そのプレゼントをみんなで企んで、
1本の映画をつくってプレゼントしたようなこともありました。
 
映画といっても、8mmの手作りものですが、
その本人に気付かれないように、一旦帰ったフリをして、
また蒲田に集まって撮影をしたり・・・。
 
バイトの時間を削りながらも、一見全く意味の無いことに
情熱を注ぐ楽しさを経験したのであります。

 
こういったことも、現在の自分を形成している
大事な根っこになっているのです。
 
僕は、現在の仕事をするとき、そして
自分で仕事をするようになった時に、自分を棚卸してみて、
この専門学校のときにやっていたことのような事や、
この時の気持ちを持って仕事をしていきたいと
思えるようになりました。
 
なので、学校の授業の思い出は全く無いのですが、
現在のTHE面白本舗の根っこの部分を形成していたんだなぁと
都合よく解釈するのであります。

   
  
そんなかわけんにお便りを出そう!!

  


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